遊びこそ救いだ!『マトリックス』から19年、仮想現実の可能性を描いた『レディ・プレイヤー1』
スピルバーグはやっぱり凄かった。日本発のキャラクターがたくさん出てる事は知られてると思いますが、この記事ではあえてキャラクターの事は書きません。むしろ、この映画の描く仮想現実ってある意味『マトリックス』への19年越しの回答なんじゃないか?という仮説を紹介させていただきます。
『レディ・プレイヤー1』と仮想現実
レディ・プレイヤー1の世界では、ハリデーという天才プログラマーが作ったオアシスという仮想現実の世界が登場します。どうぶつの森や、セカンドライフの進化版でしょうか。オアシスはもはやインフラと言っても良い程世の中に普及しています。この仮想現実の中で、人は仮の自分の姿でレースをしたり、踊ったり、はたまた賞金稼ぎのゲームをしたりします。映画は、「オアシスの中に3つの謎を隠した。その3つの謎を解き明かした者に、オアシスを引き継いでもらいたい」とハリデーが遺言を残して亡くなるところから始まります。主人公のウェイドは、このオアシスの中と、現実の世界を行ったりきたりする中で、仲間と力を合わせて謎を解く、というストーリー。このストーリー自体は至って普通ですが、仮想と現実の魅せ方がやっぱりスピルバーグは上手い。そして何よりもメッセージに感動しました。
『レディ・プレイヤー1』では現実逃避として、仮想の世界で遊ぶ事で救われる人を描いてます。仮想の世界で擬似的になりたい自分になったり、やり残した事をやってみたり、誰かに認めてもらったりする。そうする事で息抜きになる人もいれば、大袈裟に言えば救われる人もいる。これは映画でも、ゲームでも、小説でもそうですね。(もちろん負の側面として、仮想の世界にのめり込みすぎで、現実の生活が破綻するほど課金してしまう人もきちんと描いています)
でもやっぱり美味い飯は現実でしか食えないし、普段生きる世界も大切。というメッセージを示した『レディ・プレイヤー1』。ここでは仮想と現実、それぞれの役割りと補完関係をきちんと描き、アドベンチャーとしてまとめたのは流石スピルバーグ!と思いました。 僕は『レディ・プレイヤー1』を観終わった後に、これは似たテーマを扱った映画『マトリックス』への回答とも捉えられると思いました。
『マトリックス』と仮想現実
『マトリックス』の公開はもう19年も前なんですね。感慨深い。この映画は、主人公達が当たり前だと思っていた世界が、実は虚構の仮想の世界だ、というテーマがありました。未来の人類は機械に支配され、マトリックスという仮想の世界にいると思い込まされているというショッキングな内容。
主人公、ネオが目覚めた「現実の世界」では人類対機械の大規模な戦争が行われています。そこでは機械が人間を電池のように扱う、というシーンが描かれています。この「現実の」世界(機械に支配された未来の世界)では太陽光が地球に届かなく、人類も機械の支配から隠れている為、まともな食事は残っておらず、お粥のような粗食だけしか残っていないです。
*現実の世界の食事
一方、登場人物の1人が仮想の世界でステーキを食べるシーンがあります。人類を支配する為に機械が作った仮想現実、マトリックスの中ではステーキの味や食感を本物らしく再現して、あたかも本当に食べてるかのように錯覚させています。
上:マトリックスの中(仮想)での食事
下: 機械に支配された世界(現実)での食事
この映画は、目を覚ませ!と視聴者を煽ります。実際に監督達が製作中に聴いていた曲は文字通り目を覚ませという曲で、その曲を演奏していたのが90年代を代表する過激なバンド、Rage Against the Machine(レイジ・アゲンスト・ザ・マシーン=直訳すると機械に対する怒り)です。
彼らのデビューアルバムのジャケットは、ベトナム戦争に抗議する為に焼身自殺を図った僧侶の写真を使うというかなり過激なモノ。この曲は映画のエンドロールにも使われてとても印象的でした。では、『マトリックス』では何から目を覚ませと煽っているのでしょうか?そしてそれがどうレディ・プレイヤー1と関係するのか?後編に続きます。
映画『レディ・プレイヤー1』30秒予告(世界大ヒット編)【HD】2018年4月20日(金)公開
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初詣の起源はマーケティング?文化とマーケティングの話
はじめに
いつもブログをご覧頂きありがとうございます。
ここ数年、ちょっとずつの更新でしたが、洋服屋による映画解説を行なってました。ただ、自分の興味の範囲が広すぎる為、映画やファッションに留まらず気になったポップカルチャー関連の話題を色々と紹介し始めました。
そんな時にふと見つけたブログがありました。
karasimentai.hatenadiary.jp
マーケティングは需要を作る事、とは一般的な認識だと思います。ただ、上記のブログでは更に一歩踏み込み、母の日や父の日などを例に「その文化は人を幸せにするのか」がポイントである、と書いてありますね。文化には喜びや、楽しさ、または前向きな要素が必要とも言えます。そうするとポップカルチャーとは、現代の人は何に喜び、どう楽しむのかという「人を幸せにする」事例の宝庫だと僕は思います。ポップカルチャーではないですが、マーケティングによって作られた文化の身近な具体例を一つ紹介しましょう。 鉄道が変えた社寺参詣―初詣は鉄道とともに生まれ育った (交通新聞社新書) この本の著者によると、江戸時代には「初詣」という文化は無かったそうです。 (初詣という文化はおろか、言葉すらなく、あったのは新年になったら近所の寺社へお参りに行こうという割と気楽な物だったようです。)「初詣」は明治時代以降に出現した、鉄道各社、新聞社、大衆の三つが揃ってから生まれた物です。鉄道会社が競うように新聞広告を打ち、各社の沿線の寺社への「初詣」を促しました。何年にも渡り、ライバル社との値下げや割引合戦などを繰り広げ、いつの間にか川崎大師や成田山などに「初詣」客が押し寄せるようになり、現代の初詣の原型ができたそうです。これは一例ですが、今とはなっては正月の風物詩であり「文化」である初詣も、元は鉄道会社の生み出した新たな「市場」であり、初詣客は新たな「顧客」とも言えますね。 ではここでいう「文化」(=カルチャー)とはなんのことか。便宜上ここでは文化とは余裕や余剰から生まれた「遊び」と定義して起きます。(文化人類学などで、狩猟採集型社会から農耕型社会に移行した際に様々な地域で余剰が生まれ、文化が芽生えたことなどは定説となってます。)過去の僕の記事から、若者達の遊びがどう文化として定着したかご紹介しましょう。 60年代には、革ジャンやハーレーを着る人達に対するカウンターとして、M-51を羽織り、ヴェスパを乗り回したモッズ達が登場。当時はビートルズもモッズ・ファッションに身を包み、ポール・スミスにも見られるように今ではファッション・スタイルとして定着しましたね。 michischili.hatenablog.com2018年ではロックは旧世代の音楽として若者には支持されなくなり、人種を問わず北米ではヒップホップとR&Bが現在進行形でポップ・カルチャーの最前線として若者に最も支持されているジャンルとなっています。元々ある音楽をサンプリングし、ビートを抽出しラップを乗せるというヒップホップ・カルチャー。換骨奪胎の遊びの文化は今やラグジュアリー・ファッション・ブランドがこぞってすがるマーケティングの手法として広まってます。 そうすると、新しいマーケティングを考える時には、新しい遊びを追いかける事こそ必要なのではないか、と僕は思うのです。そして新しい遊び(=文化)こそ、ポップ・カルチャーの本質なのではないか、と。 このブログでは、そういったポップ・カルチャー(文化)とマーケティングの解説をしていきたいと思います。これからの新しい文化を作っていく人達、企業でマーケティングに携わる人達、そして誰よりも、同じ時代に生きるポップ・カルチャー好きの仲間の皆様にとってのガイドマップとして読んで頂ければ幸いです。 本日も最後までご覧いただきありがとうございました。コメントの書き込み、その他SNSでのシェアなどして頂けるととても嬉しいです!それではまた!マーケティングとは文化を作ること?
初詣とマーケティング
では文化とはなんぞや?
『ディファイアント・ワンズ』で学ぶヒップホップと起業家精神
Netflixで配信中のドキュメンタリー『ディファイアント・ワンズ』。後編の今回はヒップホップと起業家精神についてと、最後には僕の考察もご紹介します。
※この記事は前編後編、2回に分けてお送りしております。前編はこちら。
michischili.hatenablog.com
Appleを動かした2人の天才。音楽オタクが世界を回す『ディファイアント・ワンズ』
AppleによるBeats by Dreの買収が30億ドルと、Apple史上最高額の買収となった事を覚えてる方もいらっしゃるでしょう。今回紹介するのはそんなBeats by Dreを立ち上げた2人の天才を追ったドキュメンタリー、Netflixによる『ディファイアント・ワンズ』です。この作品はBeatsを創業したJimmy Ivone(以下、ジミー)とAndré Young( 通称Dr. Dre、以下ドレー)の半生の振り返りでもありながら、90年代以降の音楽とテクノロジーの流れも学べる作品です。
※この記事は前編後編、2回に分けてお送りしております。後編はこちら。
ヒップホップを中心とした音楽業界の話でもありますが、ジミーのマーケティングの天才っぷりと、ドレーのプロデュースの天才っぷりが描かれていて、仕事の面でも刺激になります。ドキュメンタリーシリーズとして、全編4話(各50分程です)配信されてますが、一気見してしまいました。この2人と音楽のエネルギーが詰まった作品です。
ジミー・アイオヴォンとドクター・ドレー
ジミー・アイオヴォン
1953年ニューヨーク、ブルックリン。イタリア系移民の家庭に生まれたジミー。
レコーディングスタジオの床拭きから始まりますが、ピンチヒッターとしてエンジニアになりなんとジョン・レノンのレコーディングを担当。
それ以降、パティ・スミス、ブルース・スプリングスティーン、U2等といった錚々たるミュージシャンのプロデューサーとして名を挙げていきます。
アンドレ・ロメル・ヤング
1963年、カリフォルニア・コンプトン生まれのアフリカンアメリカンのドレー。過激な言動で西海岸ヒップホップを一躍有名にしたグループNWA出身。後にミュージシャンとしてソロデビューをするだけでなく、2pac、スヌープ・ドッグ、エミネム、ケンドリック・ラマーといった数々のヒップホップミュージシャンのプロデュースを手掛ける。と、生まれも育ちも、ジャンルも違うこの2人がいかにして挫折や成功を乗り越えてきたが描かれています。 多くのミュージシャン、レコード会社の重役達のインタビューだけでなく、当時のレコーディングやライブ、PV等の映像が惜しみなく使われて、とてもリズミカルに編集されています。
レーベル設立と2人の出会い
さて、この2人はどう出会ったのでしょう。
ロック畑出身で、ヒップホップに詳しくなかったジミー。現場からは少しずつ退き、よりビジネス面へとシフトし始めていた頃。インタースコープというレーベルを立ち上げた時にドレーと出会います。FBIや世論を敵に回すほどのスキャンダルになったNWAを脱退したばかりのドレーは、満を持して作ったソロ・アルバムを売り込んで回っていましたが、風評被害もあったのかどこにも断られてばかり。
しかし、一聴したジミーは度肝を抜かれたようです。
ジミー「これ、誰がエンジニアとレコーディングやったの?」
ドレー「誰って、全部僕だよ」
ジミー「え?こんな音、今まで聴いた事ないぞ」
こちらの曲をどうぞ
直ぐにドレーはインタースコープ社と契約。周囲の予想を裏切りこのアルバムは大ヒット。2015年の時点でアメリカだけで累計570万枚売れた大ヒット作となりました。(日本で歴代最も売れたアルバムが宇多田ヒカルのFirst Loveで765万枚。その次がB'zのベストアルバムで513万枚と考えると、日本でB'zを聞く人達くらいの規模の人がドレーを普通に聞いていた、ということでしょうか。)
このアルバムは数字だけでなく、中身も革新的でした。作中でも言及されていますが、カリフォルニアは車社会です。音楽を聴くスタイルも、ヒップホップの生まれ故郷、ニューヨークとは違い、各々の車に搭載されたサブウーファーの(低音を響かせるスピーカー)響きが重視されていました。
ドレーはそこに目をつけプロダクションを進めます。結果、スローテンポで、低音が強調されたリズムにシンセサイザー等の音が乗った、明瞭な新しいヒップホップサウンドでした。これは後に多くのフォロワーを生むG-Funkというサブジャンルの代表作として知られるようになります。
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ドクター・ドレーの時代
このアルバムの成功以降、ドレーは他のミュージシャンのプロデュースでも手腕を発揮します。独特の声質とフロウで西海岸のスターになったスヌープ・ドッグ
東西ヒップホップ抗争の中心に居ながらも当時最高の詩人としてヒップホップ界の注目を浴びていた2pac
東西抗争の悲劇的な終わりから、次のステップへと踏み出そうとした時に出会った白人の若手天才ラッパー、エミネム。
そしてこれらのドレーの活動は、ジミーによって自由が保証されていたからこそ、可能でした。 一方でジミーも現場からは遠ざかりましたが、ドレーと負けずとも劣らない90年代を代表するミュージシャンを見つけていました。
それがナイン・インチ・ネイルズの中心人物、トレント・レズナーでした。
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次回へ続く
※ちなみに、ヒップホップ以外でも欧米の音楽業界・テクノロジー関連に興味があるそこのあなた。良かったらこちらの電子音楽の祭典、MUTEKの参戦記も書いたので是非ご覧下さい!このフェスの昼間のセッションでは、海外の様々な電子音楽のフェスの運営の話など僕が見渡した限りここまで詳細に書いてあるメディアはないと思える仕上がりなので、読んで頂けると嬉しいです!michischili.hatenablog.com
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ルイ・ヴィトンの新デザイナー、ヴァージル・アブローって誰?
街中で皆様見かけた事は一度くらいはあると思います、このブランドoff white。高級ストリート・ウェアというコンセプトで若者に人気のブランドです。
この度、Off-Whiteの設立者であるヴァージル・アブロー(以下、ヴァージル)が、前任者キム・ジョーンズに代わり、ルイ・ヴィトン・メンズウェアのアーティスティック・ディレクターに就任しました。 Off-Whiteのデザイナーというのは知っていたものの、それ以外はあまり彼の事をそこまで知らなかったので、この際調べてみました。
このニュース、単なるファッションの話題に見えますが、このニュースの背景を理解すると、ポップ・カルチャーの最前線が見えてきます。ポップ・カルチャーの最前線では、ファッション、アート、音楽(ヒップホップ)、建築などと、ジャンルを跨いだ新しい交流が怒涛のように生まれています。ヴィトンやラグジュアリーブランドのマーケティング的視点から考えると、ヴァージルの起用はブランディングの一環とも捉えられますね。ではヴァージルって何者なんでしょうか?
はじめに
長らく更新が滞ってしまいましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか?これまで映画でファッションを解説する、という視点でブログを書いてました。とは言え、自分の興味や守備範囲が広すぎる。この際、ポップカルチャー全般✖︎マーケティングのガイドマップのようにしよう、という事でリニューアルをしました。もっと言うと、最前線のポップカルチャー≒最前線のクリエイティブな人の集まりとも見れます。最前線を追いかける人の参考になれば、と思います。
ヴァージルと現代アート
ヴィトンのクリエイティブ・ディレクター就任に先立ち、ヴァージルが3月16日より広尾で初の個展を開催してました。という事で、今日会期終了ですが先日駆け込んできました。この広尾にあるカイカイ・キキ・ギャラリー、現代アーティストである村上隆氏が運営してるギャラリーです。こちらはヴァージルと村上の共同で展覧会を開催した時の画像。
注)真ん中はジャスティン・ティンバーレイクです。
村上氏曰く、「ヴァージルは単なるデザイナーではなく現代アートにも通じる物作りをしている」との事でした。展覧会を見た限り、正直「現代アート」として評価されるのかちょっと疑問を持ってしまいましたが、「消費社会」への言及と「企業ロゴ」の多用はある種、現代的だな、と思いました。ちなみに村上隆と言えば、日本画をルーツにしながら花柄のキャラクターやドクロなどをモチーフに描く事で国内より海外で人気のアーティストですが、村上隆も実はLVと仕事をしていました。
ヴィトンではここ数年、積極的に外部のデザイナーやアーティストを起用した限定商品の企画を行なっています。こういった積み重ねの上で、外部のクリエイターの起用が効果的であると判断されたのでしょう。限定商品だけでなくメンズウェア全体の責任者としてヴァージルが選ばれた理由にはこういう背景もあるようですね。
ヴァージルと音楽
ヴァージルは現代アートだけではなく、音楽業界にも大きな繋がりがあります。カニエ・ウェストというヒップホップ・ミュージシャンを皆様ご存知でしょうか。
左)ヴァージル・アブロー
カニエ・ウェストは2000年代〜今に至るまで、ヒップ・ポップのみならずポップ・ミュージックの世界では最先端の音楽を作る事で知られています。本人自身ラップをしたり歌ったりしますが、彼はソウル・ミュージックをサンプリングした甘く、どこか懐かしさを感じさせるトラック(曲)作りに定評がありました。デビュー以降も様々な音作りにチャレンジしているクリエイターです。
ヴァージルとカニエは同じシカゴ出身。しかも2人ともフェンディにてインターンをしていました。ヴァージルは以前カニエの設立したファッション・ブランドのクリエイティブ・ディレクターを務めていました。そして今では幻となってしまいましたが、カニエもヴィトンとコラボレーションをしていました。
そしてカニエの、3枚目のアルバムジャケットを手掛けたのは、そう村上隆です。
最先端の音楽と現代アートもこういう風に有機的に繋がっているんですね。
ヴァージルと建築
ヴァージルはところでどこでデザインについて学んでいたのでしょうか。調べると、アメリカのイリノイ工科大学で、建築を学んでいました。そこでレム・コールハースに学び、プロダクトのコンサルティングも学んだそうです。このレム・コールハースは建築界では建築家の建築家とも言えるような存在で、徹底したリサーチから提案される新しい建築の在り方は建築家だけでなく多くのクリエイターにも影響を及ぼしています。
そしてコールハースはヴィトンとは競合に当たる、プラダのマーケティングに長年携わっています。具体的にはミラノコレクションの会場設計や、プラダ財団や一部店舗の設計も手掛けていますし、プラダのプロジェクトをまとめてこんな本も出版しています。
Rem Koolhaas: Projects for Prada
- 作者: Rem Koolhaas,Miuccia Prada,Patrizio Bertelli
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建築側の視点ですと、こちらの美術手帳に掲載されているヴァージルのインタビューがより詳しいです。ファッション・ブランドのインテリアデザインについて詳しい建築家、浅子佳英さんがインタビューをしておりまして、こちらも勉強になります。
ヴァージル・アブローが語る自身の「DNA」。世界初個展「”PAY PER VIEW”」で見せるものとは?|美術手帖
最後に
いかがでしたか?このように、ポップ・カルチャーの最前線では、ファッション、アート、音楽(ヒップホップ)、建築などと、様々なジャンルを超えて新しい交流が生まれています。そして多くのグローバル企業のマーケティング企画ではこう行ったポップ・カルチャーやストリート・カルチャーの人間に仕事を依頼するケースが年々増えています。日本だとまだまだヒップホップを身近に感じられず、聞き慣れていない人もいるようです。今後このブログでは、ポップ・カルチャーがいかに様々な分野のクリエイターや企業のマーケティングと繋がっていくのかを紹介していきたいと思います。
興味がある方はこちらの記事もどうぞ!ヒップホップ発のヘッドホン・ブランドが、Apple史上最高額で買収されるに至った経緯を描いたドキュメンタリーを紹介してます。
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シーズン性がある異色の古着屋、Ambivalence
代官山の新名所。古着屋Ambivalence
師走ですね。
4月以降の更新となってしまいましたが、皆様いかがお過ごしでしょ
映画もいくつか観ましたが、今回はとあるお店をご紹介致します。
Ambivalence
音楽だけじゃない!『ラ・ラ・ランド』は開襟シャツとスペクテイター・シューズも魅力的!
はじめに
そもそも開襟シャツとは?
開襟シャツのもう1つの特徴ですが、
開襟シャツ
シャツの起源
スペクテイター・シューズ〜または、コンビ・シューズ〜
ジャズ・ファッション〜フランク・シナトラの場合〜
フランク・シナトラ-1943年の写真
ジャズ歌手、ミュージカル俳優、そして当時のアメリカを代表する大スターにしてアイドル、フランク・シナトラの写真です。セブが崇拝してる部類のジャズミュージシャンではないですが、開襟シャツと、靴もうっすらとですが、2色使いになってる写真をみつけました。とういうことで、前編後編に分けてお送りした『ララランド』特集、いかがでしたか?色々な意見があるラ・ラ・ランドですが、僕は楽しめました。舞台ミュージカルの映画化や、ディズニー映画ではない、オリジナル作品なのに世界中で大ヒットを連発。しかも製作は、ワーナーや20世紀フォックスなどのハリウッド6と呼
音楽だけじゃない!色使いも魅力的、映画『ラ・ラランド』
ララランドの色使い
ミュージカルのオマージュ
日本映画の影響
東京流れ者のワンシーン。
ちなみに先日亡くなってしまった鈴木清順監督はタランティーノ、ジム・ジャームッシュ、ウォン・カーウァイ、パク・チャヌクなどにも影響を与えていますね。いわゆるB級映画とも呼ばれますが、鈴木清順の独特のセンスは、もっとメジャーな、『アニメ版ルパン三世』にも受け継がれてます。鈴木清順はルパン・テレビシリーズの監修も務めていたそうで、制作現場では宮崎駿とのバトルも頻繁にあった見たいです。そのバトル、見て見たい。笑
1985年公開、鈴木清順監督。
テクニカラー
さて、話を戻しましょう。『ララランド』はたくさんの映画を参照しただけあって、衣装を含む美術がいいですね。と思ったらアカデミー賞美術賞を受賞してました。(衣装賞はファンタスティック・ビーストでした) さらに、『ララランド』は上記にもあるようなミュージカル映画の雰囲気を再現するために、あえてフィルムで撮影したそうです。実は劇中の歌の中でもテクニカラーというが歌詞に出てきますね。(テクニカラーはアメリカのカラーフィルムの企業と技術の名前です)
個人的にはそこまでカメラワークはビックリしなかったのですが、アカデミー賞撮影賞も取ってます。第86回、87回、88回と3年連続でアカデミー賞撮影賞を受賞したイマニュエル・ルベツキと比較すると、今作はそれほどかな?とやや疑問ですが、ここは専門外なので詳しい方いたらご教示いただけると幸いです。 そういえば、87回のアカデミー賞作品賞の『バードマン』に出ていた頃のエマ・ストーンと比べると、ラ・ラ・ランドのエマ・ストーンは本当に綺麗になりましたね。まぁ、役柄とメイクのせいもありますが、随分大人っぽくなりました。
『バードマン あるいは無知がもたらす予知せぬ奇跡』アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督、2014年公開。アカデミー賞助演女優賞ノミネート。 似たアングルのこちら。本作では、アカデミー賞主演女優賞を受賞しましたね。
ということで、色使いに注目した前編でした!まだ観てない方、後編を公開する前にも、まだまだ劇場で観れますよ! 『ララランド』紹介記事の後編ではライアン・ゴズリング演じる、セブ役のファッションについて書きます。乞うご期待!
『たかが世界の終わり』
本日ご紹介する映画は、洋服度控え目になりますが、間違いなくファッション誌等でも取り上げられるであろう若き天才が撮った、おしゃれな大傑作です。