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デジタル・マーケター見習い中。平成生まれ、米国育ち。面白い奴は大体友達。美術史専攻→洋服屋/ポップカルチャー/ 映画、海外ドラマ、音楽、ファッション(たまに建築)

『レディ・プレイヤー1』と『マトリックス』〜後編:シミュレーショニズム〜

はじめに

 

前回に引き続き、 『レディ・プレイヤー1』についての考察です。

前編では『マトリックス』は「仮想の(偽りの)の世界から目覚めよ!」と視聴者を煽っているというところで終わりましたね。

 http://michischili.hatenablog.com/entry/2018/05/09/091003

では後編は『マトリックス』は「何から目覚めよ!」と煽っていたのか?からはじめます。あれ、レディプレイヤー1の話はどこに行った?と不安になった方、安心してください。後ほどちゃんと登場しますので。

 

 

シュミラークルとシュミレーション 

マトリックスの冒頭、凄腕ハッカーの主人公ネオのパソコンに『白いウサギを追いかけろ』とメールが届く場面がありますね。この時に主人公のネオは部屋を尋ねて来た者に、違法なデータかプログラムが入ったディスクを渡します。このディスクは、隠し収納が中についている本から取り出されます。

この本のタイトルが『シミュラークルとシミュレーション』

(Simulacura and Simulation)です。

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シミュラークルとシミュレーション (叢書・ウニベルシタス)

シミュラークルとシミュレーション (叢書・ウニベルシタス)

 

 

シミュラークルとは、虚像や模造品(コピー)といったところでしょうか。この本を書いたフランスの社会学者、ボードリャールは現代の消費社会は企業やメディアが決めたコピーや記号(ブランド)などで溢れかえってしまう、と批判しました。(分かりやすい例で言えばラグジュアリー・ブランドなどのロゴですね。ロゴが付いてるから価値があるのか。服や鞄としての価値は二の次なのか?)

 

この本をはじめとして、ボードリャールや、同時期のポストモダニスト達の考えは人文学や芸術に大きなインパクトを与えました。この考えをベースにした芸術運動は「シュミレーショニズム」と呼ばれています。

マトリックス』のテーマもこのボードリャールのテーマに近いです。僕達が当たり前だと思っている世の中は実は誰かに作られた嘘の世界なのだ、だから一人一人が目覚める必要がある!と。こう書いているだけでも、過激な考えだったんだなぁと思いますが、公開当時ティーンエイジャーだった僕はこれがカッコイイと思ってました。

 

レディ・プレイヤー1』の示す、仮装と仮想の向こう側

とはいえ、この2つの映画ではそもそも仮想の世界に対する前提が違います。

・『レディ・プレイヤー1』のオアシス⇨オアシスの中で、仮の自分として装って遊ぶ空間(仮装)

・『マトリックス』のマトリックス⇨そもそもこの世界が仮の世界だと知っている人がほとんどいない。皆、騙されている。(仮想)

 

そしてこの前提が変わった事が僕としては重要だと思っています。

マトリックスから約20年、仮想世界との折り合いの付け方として提示された回答、それがレディプレイヤー1ではないか、と。上記の比較で、あえて仮装という言葉を使いました。ハロウィンは典型的な仮装ですね。最近、東京でもハロウィンがブームになっていますが、現代において仮装する事は遊び・娯楽の要素が大きいと思います。

 

その遊びとは、『レディ・プレイヤー1』で描かれているように、場合によっては日常とは違う自分を引き出してくれる事もあります。現実世界ではアキラのバイクには乗れないかもしれない。でも仮でも(それが偽物でも)それに乗っている体験をする事(仮装する事)はポジティブな遊びであると。世の中コピーだらけでも、楽しんだもん勝ちじゃないか?と言っても良いかもしれません。

 

シミュレーショニズムとシンディ・シャーマン

実はこのシミュレーショニズムの克服?は映画以外でも見られます。シュミレーショニズムを代表する1人のアーティストを紹介します。 1980年代にデビューをした、シンディ・シャーマンというアメリカの写真家がいます。

ハリウッド映画、ノワール映画、B級映画、イタリア映画などに見られる典型的な女性キャラクターを自ら模倣して撮影する、という作風のアンタイトルド・シリーズという作品で脚光を浴びました。このシリーズでは、「既存映画の中の女性像」を借りて、シャーマン自ら被写体になっています。 

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また2000年代にはピエロのイメージを様々なキャラクターや色味をモンタージュし(サンプリングに近いですが、サンプリングとは違い元ネタがわからない程切り刻んではり合わせる要素があります)、美の基準という物を問いかけています。

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そしてこのピエロもシンディ・シャーマン自身がピエロに仮装して被写体となっています。

 

実はこのシンディ・シャーマン、数年前にルイ・ヴィトンとコラボレーションをしていますね。

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※このピンクのスーツを着てる人はシンディではないです※

 

消費社会は企業やメディアが決めたコピーや記号(ブランド)などで溢れかえってしまう事の批判から始まったシュミレーショニズム。しかし、そのシュミレーショニズムは、その運動を担っていた張本人の1人、シンディ・シャーマンによって覆された、とも見れます。シャーマンはボードリャールが批判していたであろうラグジュアリー・ファッション・ブランドを代表するルイ・ヴィトンとコラボレーションをしてしまった。これはもう皮肉でもなんでもなく、シュミレーショニズムを克服した象徴的な出来事だと僕は考えています。

 

北風と太陽、あるいはプラトンの洞窟 

マトリックス』では、現実の世界では人間は機械に繋がれ、太陽もなく、美味しい食事もなく、人類を支配する機械と徹底抗戦をしています。でも、これが現実の世界だ!と言われても、絶望しかないですね。わざわざそこに行きたい人はよっぽどのドMです。『マトリックス』が北風だとすると、『レディ・プレイヤー1』は太陽ではないか、とも思うのです。 

コピーやブランドに支配されてる社会は偽りの(仮想の)社会だ。目を覚ませ!

(煽り、北風、マトリックス)

一方、

仮想であってもいいじゃないか。仮想の世界で学んだ事を現実に活かす事もできるでしょう?(遊び、太陽、レディプレイヤー1)

 

いくら正しいことを言っても、煽るような言い方だったり、過激すぎると周りの人は聞く耳を持ってくれませんね。プラトンの洞窟の寓話でも、外の世界の存在を知らしめた人は洞窟の住人に殺されてしまいます。人を動かすのが目的であればやっぱり北風のやり方より、太陽の方がよっぽど効果があるんじゃないか、と思いました。

 

一言でまとめると、

世の中を良くするのは煽りより遊び

かもしれません。それではまた!