Appleを動かした2人の天才。音楽オタクが世界を回す『ディファイアント・ワンズ』
AppleによるBeats by Dreの買収が30億ドルと、Apple史上最高額の買収となった事を覚えてる方もいらっしゃるでしょう。今回紹介するのはそんなBeats by Dreを立ち上げた2人の天才を追ったドキュメンタリー、Netflixによる『ディファイアント・ワンズ』です。この作品はBeatsを創業したJimmy Ivone(以下、ジミー)とAndré Young( 通称Dr. Dre、以下ドレー)の半生の振り返りでもありながら、90年代以降の音楽とテクノロジーの流れも学べる作品です。
※この記事は前編後編、2回に分けてお送りしております。後編はこちら。
ヒップホップを中心とした音楽業界の話でもありますが、ジミーのマーケティングの天才っぷりと、ドレーのプロデュースの天才っぷりが描かれていて、仕事の面でも刺激になります。ドキュメンタリーシリーズとして、全編4話(各50分程です)配信されてますが、一気見してしまいました。この2人と音楽のエネルギーが詰まった作品です。
ジミー・アイオヴォンとドクター・ドレー
ジミー・アイオヴォン
1953年ニューヨーク、ブルックリン。イタリア系移民の家庭に生まれたジミー。
レコーディングスタジオの床拭きから始まりますが、ピンチヒッターとしてエンジニアになりなんとジョン・レノンのレコーディングを担当。
それ以降、パティ・スミス、ブルース・スプリングスティーン、U2等といった錚々たるミュージシャンのプロデューサーとして名を挙げていきます。
アンドレ・ロメル・ヤング
1963年、カリフォルニア・コンプトン生まれのアフリカンアメリカンのドレー。過激な言動で西海岸ヒップホップを一躍有名にしたグループNWA出身。後にミュージシャンとしてソロデビューをするだけでなく、2pac、スヌープ・ドッグ、エミネム、ケンドリック・ラマーといった数々のヒップホップミュージシャンのプロデュースを手掛ける。と、生まれも育ちも、ジャンルも違うこの2人がいかにして挫折や成功を乗り越えてきたが描かれています。 多くのミュージシャン、レコード会社の重役達のインタビューだけでなく、当時のレコーディングやライブ、PV等の映像が惜しみなく使われて、とてもリズミカルに編集されています。
レーベル設立と2人の出会い
さて、この2人はどう出会ったのでしょう。
ロック畑出身で、ヒップホップに詳しくなかったジミー。現場からは少しずつ退き、よりビジネス面へとシフトし始めていた頃。インタースコープというレーベルを立ち上げた時にドレーと出会います。FBIや世論を敵に回すほどのスキャンダルになったNWAを脱退したばかりのドレーは、満を持して作ったソロ・アルバムを売り込んで回っていましたが、風評被害もあったのかどこにも断られてばかり。
しかし、一聴したジミーは度肝を抜かれたようです。
ジミー「これ、誰がエンジニアとレコーディングやったの?」
ドレー「誰って、全部僕だよ」
ジミー「え?こんな音、今まで聴いた事ないぞ」
こちらの曲をどうぞ
直ぐにドレーはインタースコープ社と契約。周囲の予想を裏切りこのアルバムは大ヒット。2015年の時点でアメリカだけで累計570万枚売れた大ヒット作となりました。(日本で歴代最も売れたアルバムが宇多田ヒカルのFirst Loveで765万枚。その次がB'zのベストアルバムで513万枚と考えると、日本でB'zを聞く人達くらいの規模の人がドレーを普通に聞いていた、ということでしょうか。)
このアルバムは数字だけでなく、中身も革新的でした。作中でも言及されていますが、カリフォルニアは車社会です。音楽を聴くスタイルも、ヒップホップの生まれ故郷、ニューヨークとは違い、各々の車に搭載されたサブウーファーの(低音を響かせるスピーカー)響きが重視されていました。
ドレーはそこに目をつけプロダクションを進めます。結果、スローテンポで、低音が強調されたリズムにシンセサイザー等の音が乗った、明瞭な新しいヒップホップサウンドでした。これは後に多くのフォロワーを生むG-Funkというサブジャンルの代表作として知られるようになります。
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ドクター・ドレーの時代
このアルバムの成功以降、ドレーは他のミュージシャンのプロデュースでも手腕を発揮します。独特の声質とフロウで西海岸のスターになったスヌープ・ドッグ
東西ヒップホップ抗争の中心に居ながらも当時最高の詩人としてヒップホップ界の注目を浴びていた2pac
東西抗争の悲劇的な終わりから、次のステップへと踏み出そうとした時に出会った白人の若手天才ラッパー、エミネム。
そしてこれらのドレーの活動は、ジミーによって自由が保証されていたからこそ、可能でした。 一方でジミーも現場からは遠ざかりましたが、ドレーと負けずとも劣らない90年代を代表するミュージシャンを見つけていました。
それがナイン・インチ・ネイルズの中心人物、トレント・レズナーでした。
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次回へ続く
※ちなみに、ヒップホップ以外でも欧米の音楽業界・テクノロジー関連に興味があるそこのあなた。良かったらこちらの電子音楽の祭典、MUTEKの参戦記も書いたので是非ご覧下さい!このフェスの昼間のセッションでは、海外の様々な電子音楽のフェスの運営の話など僕が見渡した限りここまで詳細に書いてあるメディアはないと思える仕上がりなので、読んで頂けると嬉しいです!michischili.hatenablog.com
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